きのうの夜 珍しくradioに耳を傾けていた。いつも聴いてるのはNHK-FMかJ-WAVEなのだけど、きのうはたまたま。J-WAVEのBREAKTHROUGHという番組だったと思う。
いつもなら。。9時半くらいは子供と就寝している時間。。
この前、主人と観た映画「沈黙」に出演されていた モキチ役の塚本晋也監督がゲスト聞いて、私のアンテナが反応してしまったのだ。
映画を観終えた後に、興奮冷めやらぬうちにと思ってblogにも思うがままに記して置いたのだけど、まだまだ自分自身の中でモヤモヤと残っていたものがあったのです。
ものすごく重厚な映画だったので、自分なりに咀嚼するにも時間を要するのは分かっていたけど、昨日の塚本監督とのトークにまたもやあの時の映像が鮮明に蘇ってきた。
「宗教」「戦争」。。熱く語るまでもなく、自分に熱い信仰心があるわけでも、戦争体験者でもないわけで、ともすれば他人事にでもなってしまうようなテーマではあるのだけど、現代に生きてる私でもこの先の未来が本当にどうなってしまうのかと不安に感じることはないのかと言ったら嘘になるなと。
日々人は刻々と変化変容しながら生きている。
進化や衰退は繰り返すものだとは分かっていても、未来に一筋の光を持っていたいという気持ちは誰しもが持っているものではないのかな。
でも、世の中には不条理なこともいっぱいあって、「戦争」や「宗教」はその最たるものでもあるなと思うのだけど、そういうことを意識しなければ普通に通り過ぎてしまえる現代に生きている私にとっては、このままではいけないよねという危機感を持ちつつも、心の中だけでジタバタしている自分がいるのだ。
モキチが殉教者として命を捧げてしまうシーンは(いや、不条理な圧力によって無理矢理命を断ち切られてしまうと言った方が良いのか‥)、見うる人によって解釈ももちろん違うと思うけど、私には酷く哀しくも美しくも。。と最初はそう映っていた。でも、ぐるぐると頭の中ではそれでいいの?そんな風に人は死んでいいの?神を崇める?神はそこにいるの?そんな重たくも消えない思いを巡らせながら、一方で踏み絵をしても尚、自分の罪を背負いながらも本能的な力で生き抜いてゆくキチヂローの生き様が焼き付いてもいて。
。
人間って分かっていても、本来の生きる姿として生々しい自分の声を押し殺してまでも美徳で生きようとするところがあって、その「美徳」が良くも悪くも世の中には反映されてしまう訳で、過ちを繰り返すようなことがあってはならないのに、無関心であるがままに世相はお金という亡者に引っ張られて奪い合いや争いを引き起こす引き金を様々なシーンで作っていってしまっているのではないかと。
重いテーマではあるのだけど、「沈黙」を打ち破っていくのは自分であって、今この現代に生きてる私であるからこそできる限りのことはやり抜いて生きていたいと思うのです。
違和感を感じたら、そのままにしない。
大切な「今」を生きているのだから。
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