2017年2月7日火曜日

沈黙


「沈黙」観ました

わたしより何倍も映画好きで、わたしより何倍もの数を見ている夫。

今回この映画は夫のご所望で。
原作、監督 共に気になる映画だったそうです。

3時間に及ぶ大作…

夫はきっと自分の世界観がしっかりしている人なので、こう深い映画を観ても自分なりの解釈がパッと浮かんでくるのでしょうが、わたしは歴史にも疎いし、感情の整理整頓にも時間をたくさんの要する人なので、未だ ずしんと重たく残っています。
暫くは時間が掛かるでしょうね。


目を瞑りたくなるようなシーンも山ほどで、見終えた後の重圧感はかなりのものでした。

江戸の初期、隠れ切支丹が弾圧の渦中にある中で、海を国を隔てて布教しようとする神学者フェレイラが最終的に見出したものとは。。描かれてゆく神と信仰の意義をどの視点から見ても答えが見つからない沈黙の中に、最後は光が差し込みます。

神を「崇める」と「敬う」とは言葉が意味する上では然程の違いはないのかもしれませんが、日本人としての解釈は信仰=崇めるとは少し違和感が残ります。

弾圧の中で信仰者が無惨な姿で殺されていく様は余りに残酷で惨く、どうしてここまでして布教を断ち切らねばいけなかったのか。

渦巻く世相の中を生き抜く姿も、井上肥後守が訥々と苦しみ抜くパードレに説くシーンも 、かつて同じ道を踏んだ神学者と仰がれたフェレイラが棄教し、この国には決して根付くことがないことを見抜いた様を描かれたシーンも、どれもこれも映像と共に心に焼きつきました。

この時代にまでも遺されてきた「沈黙」の中に今を見出す何かを問いかけられている 壮絶な映画です。

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