2016年10月18日火曜日

いのちの使い道

こういう本を自ら選ぶってあんまりないんだけど、この本も突然に私に読んで〜〜って飛び込んで来てくれた。
読む?なら、今でしょ!

ハイ、誕生日迎えた夜に読み始めました。
いや〜これまた すごいわー・:*+.\(( °ω° ))/.:+

あのさ、「死生観」を持って生きるってそういう言い方すると何か今の自分には関係ないかなぁ…何て急に逃げ腰になるかも何だけど、この本はまるきしそんな内容がどっぷし書いてあります。でもね、ぜーんぜん重たくないし、むしろ笑っちゃうくらい明るくて軽快で軽やかなのさ。すんごく 面白いよ。そして自分をも一度しっかり見つめ直そうって思うよ。

人はこの世に生まれたらいつかは必ず死を迎える。私はその光景を今、自分のおばあちゃんの姿を見つめながら体感している訳で、ずっと当たり前に側にあったものでも一瞬先には何が起こるかなんて誰も分かりやしないのです。

おあばあちゃんが老いてゆく姿を見つめるのは時に寂しく時に悲しく目を逸らしたいとすら感じることもありました。
お漏らししちゃったり、ごはん食べながらこぼしたり、おんなじ事何十回って言ったり、徘徊して驚かせたり、転んじゃったり、突然怒ったり泣いたりわがまま言ったり。
でもね、私は両方心で見つめてた。
自分のお腹から生まれて来てくれた小さな命と、繋げて結んで来てくれたおばあちゃんのお大きな命を
だから、感じるんですよ、ありがたいって。
ただただ今はありがたいって。

長男 はじめを生まれて直ぐに失くした時、哀しみに打ち拉がれどうして良いか分からない自分が居たその反対側で、目を瞑ったまんまのはじめを横に一晩過ごしたあの夜、彼の精一杯の命を母親なりに感じて受け取った記憶が時々蘇ってくるのだけどね、命ってさ、こういう在り方もあるんだよって、彼がそんなことを言ってる気がしたの。母さん、僕先に行くよ、でもね、哀しくなんてない、だってこれが僕の精一杯の命だからさ。
自分が流した涙が哀しみなのか、はじめの声に心が震えた涙だったのかは分からない。
でもね、母さんあなたにお礼が言いたいよ。
生まれて来てくれて本当にありがとうって。いつかどこかで会えるなら、そうやってちゃんと言葉で伝えたい。ぎゅうっとしっかり抱きしめてさ。

あああ、すみません、あちこち話が飛んじゃって( ˙-˙ )

言いたかったのは、今ここに生きていること、もうそれ自体が奇跡なんですよ。
見ている景色も、聞こえてくる音も、感じる色も、目の前に在る家族という存在も、生きている自分も全てが。
分かります?ミラクルの中に今 居るのですよ。

それでも、「死」はいつ来るかは分からない。
じゃあ、貴方ならどう生きたい?

私は私のできることを本気で精一杯やります。
どんなに小さなことでもその先に喜びがあるなら!

ひすいこうたろう
「あした死ぬかもよ」









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