さあ そろそろ 自分の腹の底から溢れ出る ほんとうの気持ち書きだそっかな。
と言うのも、やっぱり 毎日毎日繰り返す中で いろんなことを聞いたり見たり、経験したり、素敵だなあって思う人に感化されたりしていく中で、自分の軸を整えたくなる周期がやってくるというか。
そんな風なこと みんなはどう感じて生きているのだろう。
私の場合はこうして 自分の文字にして書き出すことで、自分の気持ちを再確認してみたり、自分の会いたくなった人に突然会いにいってみたり、FBとかつらつらと見ながらみんなの気持ちを読んで、あーー一緒だとか共感して心で涙してみたり。
でも、そんなことでは整えきれない、ふつふつと沸く思いみたいなものをやっぱりたまにはがーーーっと吐き出さないと。この前の高熱みたいに、時には熱くもやもやしているもの燃焼しきらないとね(笑)結局は自分の中に溜め込まれていっちゃうから。
昨年は引越しの話が上って、もう日常も日頃の平常心もぐらぐらゆらゆら揺れてばかりでした。主人がやりたいと思っていることに黙ってついていくと覚悟は決めたものの、結局はここを離れるという大きなリスクを自分が一人で背負ってるみたいな変な勘違いで重たい気持ちをなかなかシフトできずに居ました。
だから、結局のところ 主人がやりたいことに対して全面的に応援できず、賛同できていないところが態度に出ちゃうわけですよ。。
夫婦間がうまくいかなくなると、いろんなことがギクシャクしてくるんですよね。
そこのところはわかっちゃいるけど‥随分長い間空回りしてました。
そんなこんなしている時に、父の病気が発覚。最初はそんなたいしたことないでないでしょとくくっていたら、あれよあれよと 入院、手術、、なんて展開になって。
一家の柱が倒れてしまって、いろんなことが揺るぎました。
引越しどころではなくなってきました。
そう、でもそんな時、主人は黙って手を差し伸べてくれました。
東京の病院へも幾度も足を運んでくれたり、逐一細かい配慮もしてくれて皆を支えてくれました。私なんかアタフタするばかりで、目の前のことすらおぼつかず、ただただ時が平穏に流れてくれることだけを祈っていた気がします。
そもそもはここでの親との同居生活にちょっと限界を感じてたんです。
いろんな感覚が違いすぎることもあるし、見えること見えないことでのすれ違いもしょっちゅうありました。衝突も数え切れないほどしてきました。
でも、その度にどちらの肩を持つわけにもいかず、ものすごく心が痛み、自分の意見さえもはっきりと提示できなくなってただただ落ち込むだけでした。
だから、そういう自分の寂しさみたいなものを埋めたくて、随分外にスピリチュアルなセッションみたいなものも行ってみたし、ゆがんだ心を元に戻そうと努力もしてきたつもりです。でも結局のところ、外に求めたって内側は埋まらない。
自分の素直な気持ちが相手とコミニケーションできないことはとても辛いことです。
私自身が親との関係でそれができていなかったから、夫に対してもそれがクリアできない。だからすごく苦しかったです。
親に対しても、一緒に住んでいるということもあるけれど、弱いところは見せたくないし、いざこざを起こすのは嫌だし、結局のところ良い子でありたいしそうしようと思うから何か息詰まるんですよね、自分が。
でも、そういうのってどうなのかな?ってずっとずっと考えてきました。
前置きが長い、、一旦とめようか。
0 件のコメント:
コメントを投稿