母にお伊勢参りのお土産をもらった。
「お伊勢うどんとお木曳き山椒」
伊勢うどんは一見変わった食べ方で、太めの柔らかいお饂飩に甘辛いさらりとした醤油ダレをかけてたべるご当地うどん。
現地でもほんとうにシンプルに上には何ものせずの食べ方だったが、なんとなく上に何かのせて食べたい気分だったので、即席で作ったなめ茸と鬼おろし大根ともひとつのお土産 お木曳き山椒をのせてみたー。
旨し。
2016年11月30日水曜日
2016年11月29日火曜日
「たべること」workshop ①
先週のことですが、「たべること」workshop 始まりました。
小さな小さな種まき。
だけどね、種は蒔かないと芽が出せないですね。
蒔いた種は自分の生きたいように芽を出し土の中にしっかり根を伸ばし、お日様の力を借りてぐんぐん伸びて 自分のいのちを咲かせてゆきます。元気のない時もあるし、すごくすごく上に伸びる時もある。どんな時も生きようと自分のいのちを使い切って朽ちてゆくのです。
ひとには「こころ」があります。
だから、植物よりもずっといろんなことを感じる感性をもってる。
人間だけなのですよ、食材を調理しておいしくたべようとすることのできる生き物は。
なので、その感じる感性 大事に育てていきたいなって。
このworkshopでは、私たちが暮らす家と台所と食卓を共に囲むことで「たべること」にもうひとつの豊かさをプラスしてゆくことを目的としています。
料理を作るのに確かなレシピってやっぱり必要だなとは思うのですが、そのもひとつ先の自分のおいしさとしあわせを感じる温もりを「たべること」を通じて感じて欲しいのです。
先ずはやってみる。その1歩が始まりです。
レシピ云々ではなく、自分が作ってみたい、食べてみたい、夫に家族に食べさせてあげたいそんな気持ちで作る家庭料理はどんな華やかなお料理よりも相手に伝えることのできる愛のメッセージ♡
なので、そんな気持ちにピン!ときたら来てください(^^)
次回の日程は1月12日(木) 八宝菜をつくります!
時間 10時から14時
費用 2500円
持物 エプロン、三角巾、筆記用具、持ち帰り用タッパー
場所 やのさん宅
thihiro@me.com
小さな小さな種まき。
だけどね、種は蒔かないと芽が出せないですね。
蒔いた種は自分の生きたいように芽を出し土の中にしっかり根を伸ばし、お日様の力を借りてぐんぐん伸びて 自分のいのちを咲かせてゆきます。元気のない時もあるし、すごくすごく上に伸びる時もある。どんな時も生きようと自分のいのちを使い切って朽ちてゆくのです。
ひとには「こころ」があります。
だから、植物よりもずっといろんなことを感じる感性をもってる。
人間だけなのですよ、食材を調理しておいしくたべようとすることのできる生き物は。
なので、その感じる感性 大事に育てていきたいなって。
このworkshopでは、私たちが暮らす家と台所と食卓を共に囲むことで「たべること」にもうひとつの豊かさをプラスしてゆくことを目的としています。
料理を作るのに確かなレシピってやっぱり必要だなとは思うのですが、そのもひとつ先の自分のおいしさとしあわせを感じる温もりを「たべること」を通じて感じて欲しいのです。
先ずはやってみる。その1歩が始まりです。
レシピ云々ではなく、自分が作ってみたい、食べてみたい、夫に家族に食べさせてあげたいそんな気持ちで作る家庭料理はどんな華やかなお料理よりも相手に伝えることのできる愛のメッセージ♡
なので、そんな気持ちにピン!ときたら来てください(^^)
次回の日程は1月12日(木) 八宝菜をつくります!
時間 10時から14時
費用 2500円
持物 エプロン、三角巾、筆記用具、持ち帰り用タッパー
場所 やのさん宅
thihiro@me.com
workshop ご案内
年内最終の workshop 開きます
「包丁を研いでみよう!」
日時 12/20(火)
時間 10時から14時
費用 2500円(おひるごはん付き)
持物 ご自分の包丁
場所 やのさん宅
今年も残す所あと僅かとなりました。
大事にしている台所道具もきちんと整えて新たな気持ちで新年をお迎えできるように、おせち作りへのモチベーション上げて行こう!
問い合わせ⇨thihiro@me.com
2016年11月28日月曜日
七五三のお祝い
うちの長男坊(戸籍上では次男) 七五三のお祝いを迎えました。
何と言っても家族が多い分 行事ごとも多く、毎月何かしらお祝いごとしているような気もしますが、七五三のお祝いはどこか特別感がありますね。
どんなに小さくてもこどもの成長が感じられた時、親の喜びはひとしおだと思うのだけれど、こうして節目節目を大事に守り受け継いで行く日本の伝統文化は目には見えない大きな力で包まれて愛されて育まれてゆくものなのだと感じます。
我が家はいつも、自分の住まう家から一番近くの氏神様「榛名神社」にご祈祷をお願いし家族が揃ってお参りさせてもらっています。こどもにとっても世代が重なった家族構成にも移動が少なく無理なく日常の延長線上にお祝いができることを最優先に。
今年は長老のおばあちゃんが入院しているので、一緒にお祝いできなかったことが残念でなりませんが、息子の晴れ姿無事にみせてあげることもできました。ほんのちょっとの時間でしたが、びっくりしたおばあちゃんの顔にわたしの緊張が解れました。
無事にこの日を迎えられましたよと報告できたので。
こどもが無事に産まれ、ここまで成長してきてくれたこと、当たり前のように感じる毎日も改めて感謝に満ちた日々であることに気づかせてもらった1日でした。
写真は今年で3年目になりますが、林美香さんにお願いしました。
もう大きな信頼の上にこの大事な1日の記録を依頼していますので、撮影は一切委ねて1日をゆったり過ごすことができました。美香さんとこんな繋がりができたのも、こころの奥底にある魂の部分で響き合う何かを感じるからだと思ってます。
おひるごはんは我が家でのテーブルを囲み林家のこどもたちも一緒にお祝いの席に花を咲かせてくれました。短い時間だったれど、こうした時間が持てたこともまた我が家の風を近くに感じてもらえたかなあと。
まだもう暫く出来上がりには時間を要しますが、家族で心待ちにしています。
一枚撮ったこの写真は病院に居るおばあちゃんに会いに行った時のこと。
着物にChristmas treeがなんとも不釣り合いですが。。。1枚くらいはと自分でぱちり。
何と言っても家族が多い分 行事ごとも多く、毎月何かしらお祝いごとしているような気もしますが、七五三のお祝いはどこか特別感がありますね。
どんなに小さくてもこどもの成長が感じられた時、親の喜びはひとしおだと思うのだけれど、こうして節目節目を大事に守り受け継いで行く日本の伝統文化は目には見えない大きな力で包まれて愛されて育まれてゆくものなのだと感じます。
我が家はいつも、自分の住まう家から一番近くの氏神様「榛名神社」にご祈祷をお願いし家族が揃ってお参りさせてもらっています。こどもにとっても世代が重なった家族構成にも移動が少なく無理なく日常の延長線上にお祝いができることを最優先に。
今年は長老のおばあちゃんが入院しているので、一緒にお祝いできなかったことが残念でなりませんが、息子の晴れ姿無事にみせてあげることもできました。ほんのちょっとの時間でしたが、びっくりしたおばあちゃんの顔にわたしの緊張が解れました。
無事にこの日を迎えられましたよと報告できたので。
こどもが無事に産まれ、ここまで成長してきてくれたこと、当たり前のように感じる毎日も改めて感謝に満ちた日々であることに気づかせてもらった1日でした。
写真は今年で3年目になりますが、林美香さんにお願いしました。
もう大きな信頼の上にこの大事な1日の記録を依頼していますので、撮影は一切委ねて1日をゆったり過ごすことができました。美香さんとこんな繋がりができたのも、こころの奥底にある魂の部分で響き合う何かを感じるからだと思ってます。
おひるごはんは我が家でのテーブルを囲み林家のこどもたちも一緒にお祝いの席に花を咲かせてくれました。短い時間だったれど、こうした時間が持てたこともまた我が家の風を近くに感じてもらえたかなあと。
まだもう暫く出来上がりには時間を要しますが、家族で心待ちにしています。
一枚撮ったこの写真は病院に居るおばあちゃんに会いに行った時のこと。
着物にChristmas treeがなんとも不釣り合いですが。。。1枚くらいはと自分でぱちり。
2016年11月25日金曜日
キムパ
最近お祝いごとが続きました。
家族や親戚、おともだち、嬉しいことが続きました。
そんな時は「海苔巻き」♡
自分は酢飯ごはんがとても好きなので、ふつうのお寿司ごはんの海苔巻きもだーいすきなんだけど、家族には「キムパ」=韓国海苔巻き のほうがウケが良いみたいで、なのでどうしたら美味しくなるか自分でも研究しながら作り続けています。
元のレシピはミョンちゃん直伝のもの(^^)ずっと大切に繋げています。
家族や親戚、おともだち、嬉しいことが続きました。
そんな時は「海苔巻き」♡
自分は酢飯ごはんがとても好きなので、ふつうのお寿司ごはんの海苔巻きもだーいすきなんだけど、家族には「キムパ」=韓国海苔巻き のほうがウケが良いみたいで、なのでどうしたら美味しくなるか自分でも研究しながら作り続けています。
元のレシピはミョンちゃん直伝のもの(^^)ずっと大切に繋げています。
お赤飯
今年も少しだけれど、自家採種した「ささげ」を蒔きました。
秋にこれも少しだけれど、収穫ができたので夫と喜び合いました。
まずは11月の父のお誕生日に、そして23日に敬祐の七五三のお祝いをしましたのでお赤飯を蒸しました。
なんとも言えない淡い美しいしぜんな色のお赤飯
自分で言うのも何ですがため息のでる美しさでした。。。
こうして1つずつでも家族で喜びを共にできること、これが全ての今に繋がっています。
秋にこれも少しだけれど、収穫ができたので夫と喜び合いました。
まずは11月の父のお誕生日に、そして23日に敬祐の七五三のお祝いをしましたのでお赤飯を蒸しました。
なんとも言えない淡い美しいしぜんな色のお赤飯
自分で言うのも何ですがため息のでる美しさでした。。。
こうして1つずつでも家族で喜びを共にできること、これが全ての今に繋がっています。
2016年11月2日水曜日
「たべること」workshop
「たべること」workshop たくさんのお問い合わせありがとうございます!
何より、みなさんが「たべること」に興味を持っていただけただけでも嬉しいです💛
今回は両日定員になりましたので、申し込み締め切ります。
次回は来年1月の予定です。
お楽しみに!
何より、みなさんが「たべること」に興味を持っていただけただけでも嬉しいです💛
今回は両日定員になりましたので、申し込み締め切ります。
次回は来年1月の予定です。
お楽しみに!
2016年11月1日火曜日
子育て論 続き
そう、大事なのは生身の人間をちゃんと受け入れて受け止めて、いろいろな出来事も感情もみんなひっくるめて「わたし」が生きている証拠として起こっているということを自覚できることが大事だし、大人もこどもも日常の中にワクワク・ドキドキするような高揚するハートが必要だし、かといって何事も過剰になりすぎず、よい加減にものごとが進むような日々を送れることは、母親になった今すごく大事にしていきたいと思っていることで、こんなそんなの内容の濃いお話を今日の講演会でたっくさんのヒントを頂いてものすごく合点があって嬉しくなったので、書きたいままに書きました。
こどものありのままの姿 ようく見つめてあげてみてください。
すごく一所懸命生きているし、頑張っているし、すごく高いエネルギーを持ってこの世に生まれてきてくれているのです。そうだ、私たちも。
そして、がんばりすぎず、時に怠けることも緩めることもすごく大事だよね。
「笑い合える」こと こんなに尊いことってあるかな?
それと、もうひとつ繋げて書きたかったこと。
私の所属している「志木おやこ劇場」のこと。
今の世の中って便利になればなるほど、人との間柄が希薄になってお付き合いや人と触れ合うことさえも自分が求めていかなければ疎遠になってしまうことって多くはないだろうか。
確かにずっと誰かと一緒とか、いつもだれかと一緒というとたまに鬱陶しく感じることもあるだろうけれど、自分と違った人との接触から得られる違和感や感情はやっぱり生きて行く上では不可欠な要素だなというのも大きな気づきでした。
家の中だけでは得られない繋がり、ちょっと外に目をむければそれは「地域」という言い方で表せると思うのだけど、必然とこどもたちが幼稚園や学校や習い事を始めたらそこで地域と繋がるし、地元で働いている人ならもちろんそこから生まれる繋がりもあると思うのだけれど、その地域のつながりでさえ自分が求めていかなくてはなかなか繋がるきっかけが持てないという現状が多いのではないだろうか。
最初は「兎に角、おもしろそうだから!」と思って幼稚園のお母さんに誘ってもらってなんの気なしに入会したのだけど、ここで見られる高いレベルの生の芸術、舞台であったり生の演奏会であったり、自分たちの手で作り上げて行く地域の中の小さな輪みたいな集まりで、月に大体一度は例会というかたちで何らかの劇を鑑賞したり、その前後には劇に因んだゲームだったり面白そうな大人企画こども企画を盛り込んでみたりとまあとにかく盛り沢山な訳なのだけど、「あそび」という観点から地域を見つめてみると、お金をたくさん掛けて遊べるような場所は結構あるけれど、お母さんもこどもも一緒に触れ合いながら地域とつながって触れ合って遊べるところってそうはないなって。
公園や公共の場所でさえ、今は危ないから迷惑がかかるからと閉ざされた場所になってしまっているところが多いことも現実にはあって、そこに嘆いているのならこんな素敵な集まりがあるんだよ!って声を大にして教えてあげたくて。
もちろん、家族のバックヤードは様々だし週末こそ家族水入らずで過ごしたい人もいるだろしそれはそれで良いのだけれど、「あそび」に物足りなさを感じていたり、芸術に興味はあるけれど、どう触れて良いのかわからないとか、地域と繋がってみたいけどわからないとか、子育てしながら行き詰まったり躓いたりして今の自分に少し窮屈さを感じていたら、思い切って外に出てみること提案したいんだよね。
同じジャンルの人ばかりでなく、いろいろな人がいるという面白さも含めて、地域と自分が繋がってくると子育てはすごくしやすく、楽になるんですよ!
自分だけでは図りきれない世界が「あそび」の中にはいっぱいあるのだよ〜
ということで、いっつもおもしろいことやってる「志木おやこ劇場」、多分学校とか幼稚園で時々ちらしも入ってきていると思うのだけど、ポイッて捨てないでちょっとだけアンテナ立ててみてください!この周辺から志木の辺りまで幅広い地域性をもって活動しています。
自分にとって大事なことは、きっとじわりじわりと伝わってくるものなので、その時が来たらキャッチしてもらえるかな〜と思って書きました。
読んでくださってありがとう。
ご興味のある方は是非!
志木おやこ劇場HP→http://shiki-oyako.blogspot.jp
そしてもうちょっと細かく聞いてみたいなという方は
thihiro@me.com へ
こどものありのままの姿 ようく見つめてあげてみてください。
すごく一所懸命生きているし、頑張っているし、すごく高いエネルギーを持ってこの世に生まれてきてくれているのです。そうだ、私たちも。
そして、がんばりすぎず、時に怠けることも緩めることもすごく大事だよね。
「笑い合える」こと こんなに尊いことってあるかな?
それと、もうひとつ繋げて書きたかったこと。
私の所属している「志木おやこ劇場」のこと。
今の世の中って便利になればなるほど、人との間柄が希薄になってお付き合いや人と触れ合うことさえも自分が求めていかなければ疎遠になってしまうことって多くはないだろうか。
確かにずっと誰かと一緒とか、いつもだれかと一緒というとたまに鬱陶しく感じることもあるだろうけれど、自分と違った人との接触から得られる違和感や感情はやっぱり生きて行く上では不可欠な要素だなというのも大きな気づきでした。
家の中だけでは得られない繋がり、ちょっと外に目をむければそれは「地域」という言い方で表せると思うのだけど、必然とこどもたちが幼稚園や学校や習い事を始めたらそこで地域と繋がるし、地元で働いている人ならもちろんそこから生まれる繋がりもあると思うのだけれど、その地域のつながりでさえ自分が求めていかなくてはなかなか繋がるきっかけが持てないという現状が多いのではないだろうか。
最初は「兎に角、おもしろそうだから!」と思って幼稚園のお母さんに誘ってもらってなんの気なしに入会したのだけど、ここで見られる高いレベルの生の芸術、舞台であったり生の演奏会であったり、自分たちの手で作り上げて行く地域の中の小さな輪みたいな集まりで、月に大体一度は例会というかたちで何らかの劇を鑑賞したり、その前後には劇に因んだゲームだったり面白そうな大人企画こども企画を盛り込んでみたりとまあとにかく盛り沢山な訳なのだけど、「あそび」という観点から地域を見つめてみると、お金をたくさん掛けて遊べるような場所は結構あるけれど、お母さんもこどもも一緒に触れ合いながら地域とつながって触れ合って遊べるところってそうはないなって。
公園や公共の場所でさえ、今は危ないから迷惑がかかるからと閉ざされた場所になってしまっているところが多いことも現実にはあって、そこに嘆いているのならこんな素敵な集まりがあるんだよ!って声を大にして教えてあげたくて。
もちろん、家族のバックヤードは様々だし週末こそ家族水入らずで過ごしたい人もいるだろしそれはそれで良いのだけれど、「あそび」に物足りなさを感じていたり、芸術に興味はあるけれど、どう触れて良いのかわからないとか、地域と繋がってみたいけどわからないとか、子育てしながら行き詰まったり躓いたりして今の自分に少し窮屈さを感じていたら、思い切って外に出てみること提案したいんだよね。
同じジャンルの人ばかりでなく、いろいろな人がいるという面白さも含めて、地域と自分が繋がってくると子育てはすごくしやすく、楽になるんですよ!
自分だけでは図りきれない世界が「あそび」の中にはいっぱいあるのだよ〜
ということで、いっつもおもしろいことやってる「志木おやこ劇場」、多分学校とか幼稚園で時々ちらしも入ってきていると思うのだけど、ポイッて捨てないでちょっとだけアンテナ立ててみてください!この周辺から志木の辺りまで幅広い地域性をもって活動しています。
自分にとって大事なことは、きっとじわりじわりと伝わってくるものなので、その時が来たらキャッチしてもらえるかな〜と思って書きました。
読んでくださってありがとう。
ご興味のある方は是非!
志木おやこ劇場HP→http://shiki-oyako.blogspot.jp
そしてもうちょっと細かく聞いてみたいなという方は
thihiro@me.com へ
私の子育て論
今日はものすごく良い機会を頂いたので、この興奮が冷めやらぬうちに記事を書こうと思います。
野井慎吾先生の講演会
「あそびが育む幼児のこころとからだ」
おやこ劇場の会報のなかにさらっと入っていたちらしだったのですが、このテーマを見て「あっこれ、ちょっと興味あるな」と思ったのと、ばっちり前後の予定もなく空いていたのでこれは今聞けるチャンスだな!と感じて申し込んでみました。
それほど、期待もせず劇場のお仲間も何人かご一緒だったのでなんの身構えもせず聞けた講演会、それがものすごく今の自分がまさに感じていたことにヒットしたので、どうしてもこの気持ちをシェアしたくて書きはじめてます。
私自身は二人姉妹で姉とは容姿も性格も正反対で高校時代からはお互いに寮生活をしていたこともあって、少しは気の合う部分もあったけれどじっくり話す間もなくお互いに家庭をもったりで姉妹を語る時間なんてほとんどなく、それってすごく寂しいなって思ったので、自分はできるならば3人は子育てがしてみたいという強い願いもあって3人目まではがむしゃらに突っ走って子育てしちゃったなと今になるとそう振り返るのですが、まさか5人ものお母さんになれるとは夢にも思っていなかったことと思う反面、自分の潜在意識のなかでは、こどもがありのままに生きる姿に自分をどれだけ映し出せるかそんな思いを巡らせていたような気もするのです。
それは、大人になって自分がいろいろなことにブレーキをかけて、こうしてはダメこう思ってはダメ、こうするべき、ああするべき、そういうお堅い人間で長い間どうしても自分の本心を追求することに恐怖を感じていたのだけど、5人目のヒロトが生まれて12歳離れる長女の思春期と、まだ言えば乳幼児のこころの発達を同時に見ることができる環境に置かれて、改めて感じていることは「ありのままの姿」ほど面白いことはなく、人間が成長し発達して行く上でいろいろな抑制をかけるのは本当に大人の(わたしの)エゴだなって気がつきました。
そんなことを曖昧なところで気がつきながらも、はっきりとした確信も持たなかったので家族内に小さなトラブルが起きると子供や夫、親のせいにしてどこか違うところに逃げ道を作ったり自分は関係ないと身を隠すようなずるいことを長くやってきました。
ちょっとお話ズレてしまったのだけど、今日のお話の中ですごく印象に残ったのは「一見意味のないような戯れ付きあそびやこどものいたづら、ダイナミックな活動や相反するように見える静かなあそび(おままごとやお絵描きなど)はすべて人間が成長して行く上で個々が欲している発達欲求である」というお話でした。
そう、こどもって(特に小さいうち)意味もないようなこと平気でおもしろそーにやっているし、思いも及ばないようないたづらが大好きだし、言葉はままならなくともちゃんと体で表現するし、ほんとにストレートでありのまんまで生きるエネルギーに満ちていて素晴らしい生き物だよねって。それ、すごく大事だよね、って感じてはいるけれど、じゃあいざ成長する過程で「あそび」を意識してみると、今のご時世それがなかなかできない環境下にこどもを置いていることがあるということに気がつく親は多くはないのでしょうか?もちろん自分自身のことも含めて。
ここで言いたい「あそび」はゲームやスマートフォンなどのSNSとは懸け離れた自らが主体性を持った「あそび」のことです。
小さい頃から習い事詰めだったり、早期幼児教育だったり、学校へ行けばそれもっともっと勉強だ!塾だ!英才教育だ!と詰め込んで、さらにもっと大きくなればもっとまともな人間になりなさい、やりなさい、もっともっととどこまで追い詰めれば自分の気が済むのかというところまで。(あああ、決して私の周りがそんな人ばっかりというわけではなくそんな人も居るというくらいに受け止めてください)
でも、そんなことより、お日様が出たら ああ今日はお天気が良いのだな、元気がでるなって朝が気持ち良く起きれて、昼間もお天道様の光を浴びながら元気に活動できて、夜はお日様が沈めば電気もそこそこにあしたへの活力を貯める準備をするといった、いわば人間らしい暮らしをした方が人は本来の自分の在り方に気がつけるのではないかなと。
ちょっと長くなったので、一旦休みます。
続きは次へ
野井慎吾先生の講演会
「あそびが育む幼児のこころとからだ」
おやこ劇場の会報のなかにさらっと入っていたちらしだったのですが、このテーマを見て「あっこれ、ちょっと興味あるな」と思ったのと、ばっちり前後の予定もなく空いていたのでこれは今聞けるチャンスだな!と感じて申し込んでみました。
それほど、期待もせず劇場のお仲間も何人かご一緒だったのでなんの身構えもせず聞けた講演会、それがものすごく今の自分がまさに感じていたことにヒットしたので、どうしてもこの気持ちをシェアしたくて書きはじめてます。
私自身は二人姉妹で姉とは容姿も性格も正反対で高校時代からはお互いに寮生活をしていたこともあって、少しは気の合う部分もあったけれどじっくり話す間もなくお互いに家庭をもったりで姉妹を語る時間なんてほとんどなく、それってすごく寂しいなって思ったので、自分はできるならば3人は子育てがしてみたいという強い願いもあって3人目まではがむしゃらに突っ走って子育てしちゃったなと今になるとそう振り返るのですが、まさか5人ものお母さんになれるとは夢にも思っていなかったことと思う反面、自分の潜在意識のなかでは、こどもがありのままに生きる姿に自分をどれだけ映し出せるかそんな思いを巡らせていたような気もするのです。
それは、大人になって自分がいろいろなことにブレーキをかけて、こうしてはダメこう思ってはダメ、こうするべき、ああするべき、そういうお堅い人間で長い間どうしても自分の本心を追求することに恐怖を感じていたのだけど、5人目のヒロトが生まれて12歳離れる長女の思春期と、まだ言えば乳幼児のこころの発達を同時に見ることができる環境に置かれて、改めて感じていることは「ありのままの姿」ほど面白いことはなく、人間が成長し発達して行く上でいろいろな抑制をかけるのは本当に大人の(わたしの)エゴだなって気がつきました。
そんなことを曖昧なところで気がつきながらも、はっきりとした確信も持たなかったので家族内に小さなトラブルが起きると子供や夫、親のせいにしてどこか違うところに逃げ道を作ったり自分は関係ないと身を隠すようなずるいことを長くやってきました。
ちょっとお話ズレてしまったのだけど、今日のお話の中ですごく印象に残ったのは「一見意味のないような戯れ付きあそびやこどものいたづら、ダイナミックな活動や相反するように見える静かなあそび(おままごとやお絵描きなど)はすべて人間が成長して行く上で個々が欲している発達欲求である」というお話でした。
そう、こどもって(特に小さいうち)意味もないようなこと平気でおもしろそーにやっているし、思いも及ばないようないたづらが大好きだし、言葉はままならなくともちゃんと体で表現するし、ほんとにストレートでありのまんまで生きるエネルギーに満ちていて素晴らしい生き物だよねって。それ、すごく大事だよね、って感じてはいるけれど、じゃあいざ成長する過程で「あそび」を意識してみると、今のご時世それがなかなかできない環境下にこどもを置いていることがあるということに気がつく親は多くはないのでしょうか?もちろん自分自身のことも含めて。
ここで言いたい「あそび」はゲームやスマートフォンなどのSNSとは懸け離れた自らが主体性を持った「あそび」のことです。
小さい頃から習い事詰めだったり、早期幼児教育だったり、学校へ行けばそれもっともっと勉強だ!塾だ!英才教育だ!と詰め込んで、さらにもっと大きくなればもっとまともな人間になりなさい、やりなさい、もっともっととどこまで追い詰めれば自分の気が済むのかというところまで。(あああ、決して私の周りがそんな人ばっかりというわけではなくそんな人も居るというくらいに受け止めてください)
でも、そんなことより、お日様が出たら ああ今日はお天気が良いのだな、元気がでるなって朝が気持ち良く起きれて、昼間もお天道様の光を浴びながら元気に活動できて、夜はお日様が沈めば電気もそこそこにあしたへの活力を貯める準備をするといった、いわば人間らしい暮らしをした方が人は本来の自分の在り方に気がつけるのではないかなと。
ちょっと長くなったので、一旦休みます。
続きは次へ
お詫び
最近 Facebook ばっかりになっちゃって、こちらがどうも等閑になってしまっているのですが、やっぱり長い間このBlogと付き合ってきて、自分の思いの振り返りや気持ちの整理にはありがたいツールだなぁと改めてそんなことを感じています。
こんなに拙い文章力でも読んでくださっている方がいると思うと、とてもとても励みになります!
と、最近写真はiPhoneばかりで撮影していて 携帯からblogのへのアクセスもスムーズだったのですが、途中で一度突然Blogが削除されてしまった事件以来、携帯からの投稿ができなくなってしまったので、写真付きが難しくなったのと、感じたことを記事にするのにだいぶタイムラグがありますこと、どうぞご理解くださいませ。
こんなに拙い文章力でも読んでくださっている方がいると思うと、とてもとても励みになります!
と、最近写真はiPhoneばかりで撮影していて 携帯からblogのへのアクセスもスムーズだったのですが、途中で一度突然Blogが削除されてしまった事件以来、携帯からの投稿ができなくなってしまったので、写真付きが難しくなったのと、感じたことを記事にするのにだいぶタイムラグがありますこと、どうぞご理解くださいませ。
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