母が作ってくれていた夕飯をご馳走になった後に、ちょっと買い物に行くという話になり、夫だけが行く筈だったのが子どももついて行く!と言い出して、それを心配した母もが一緒に出掛けることになったのです。
いつも行き慣れている道だし、母の案内があったほうが良いでしょうし、ちょっとそこまでくらいなら母の気晴らしにもなるでしょうと思って私は留守番したのだけど、出掛けた矢先に夫からの電話。。何だか酷く慌てた口調で「母さんが母さんが転んだっ!兎に角降りてきて‼︎」という電話口の声に胸がざわざわしてきて降りてみたら、大変なことになっていて。。。。
マンションのすぐ横の道がとても急な坂道でそこで子どもが駆け出して危ないから止めようと思って手を貸すつもりだった母が何の支えもなく顏から転ぶ大怪我になってしまって、顔面血だらけ、歩くのもようやっとの姿を見たときは、私の心臓も止まりそうでした。。。
夫と近くに住まう兄とが、手取り足取り母を支えて直ぐに近くの病院に辿り着けて、もうその時も待つしかなかったのですが、どうしてあの時気が付いて母を留め置かなかったのかとか、私が付いて行ってたらせめて何かを防げたかもしれないと自責の念ばかりが頭の中をぐるぐる回りつづけました。
でも起きてしまったことの後戻りはできない。
できる限りのことはと思いながら、ご飯を作るけど、心もとなく。。。
買い物に行くにも、徒歩圏で15分くらいのところなのだけど、もの凄い暑さで、子供たちを一緒に連れては無理だなという距離で、(行きは良くても、帰りに荷物に抱っこは無理。。兎に角坂道がすごい。。)一人で出て買い物するけど、慣れない場所で頭の中も真っ白で、あれもこれも作って食べさせてあげたいのに、全くもって本領発揮できず、時間だけが過ぎて行きました。(何を作ったか覚えていないのです。。)
でも、ふた晩続けて兄夫婦と夕飯を共にして、少しの時間だったけど母のこと話しができて私の中ではせめてもの償いのような気持ちでした。
時とともに歳を重ねて老いてゆく母の姿をどこか他人事に思ってしまっていた自分をものすごく恥ずかしく思ったけれど、ここまで、何一つ病気も怪我もせずにいつも元気でいてくれた母がこの怪我を通して私たちにくれたメッセージはとてつもなく大きなもので、遠く離れていても私たちができる何かがあるとしたら、近くにいてくれる兄夫婦を信頼し、支え合い、兄弟仲良く、母が安心して自分らしく生きてゆけるできる限りのサポートを最後まで尽くしてあげることなのかなと。
そして、自分たちが生き生きと前を向いて明るく元気に仲良く楽しく生きてゆくことを忘れてはなるまい。
あゝ自分の暮らしを思ったら、家族や住まう環境を含めてどれほどの便利さや豊かさを享受させてもらっているのかと改めて考えさせられた4日間でもあったなあ。。。
生きるとは?
どう生きるのか?
老いるとは?
生活するとは?
暮らしとは?
夫婦とは?
家族とは?
まだまだ自分への問いかけは続きます。。
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