2014年1月28日火曜日

私が大切にしているもの

年越しからずっと鬱屈した気持ちを追い払うことができず、自分でも頭がおかしくなるほどマイナスな思考しか働かなくなる日々を送っていました。

5人目のいのちをお腹に宿しながら、自分がどういう方向性をもってこの先進んでいきたいのか‥自分軸が定まらないことにものすごい苦しみを感じるのです。そんなこと、今までだって幾度もあったし、ずっと答えは見つからないまま突き進んできたのかもしれませんが、ここにきて「このままでは嫌だ」という自分に対する嫌悪感が日に日に増すばかり。
目の前には幸せな暮らしがあり、かわいい子供たちがいる。一体何に不満を抱いているのかはっきりとわからない。想いもことばも見つからない。ただただ主人に対して八つ当たりする、何とも情けない方法でしか、自分の立ち位置を保てないでいる。

そしてそんな中、亡くなった長男の13回忌を迎え義理の父の1周忌を迎えました。
今ここに生きているという存在をわたしはどうしたいと思っているのか?問いかけるほどに分からなくなる。でもなんでそれなら今ここに存在しているのか?

そんな中で旦那は私の態度にしびれを切らし、「俺のことを嫌いにもなってもいいから子供たちの為に我慢しろ!」と怒鳴った。どんよりした空気を持ち込む私に屈せず、とにかく前に突き進もうとして家の中に明るさを失わない様にしているその態度に私は余計に近寄れなくなる。
私、何をしてるんだ?一番大切にしたいと思っている人に言葉も出せず、向き合おうともせずにもがいてる。

そんな中、急にはっとしたんだ。
わたしが今までもこれからも一番大事にしたいと思っていたのは私と手を繋いでくれたあなたそのものなのだ。
その大事にしたいと思っている軸を想い違いしているだけだ。
相手をきちんと見ているだろうか?深く愛しているだろうか?

そのこたえは自分が出すつもりでいたけれど、こたえをくれたのはあなただったね。
あなたに支えてもらって、今のわたしがあるんだ。
別にむずかしいことじゃない。
本当に深く愛しているからこそ、生きていけるんだ。

そのこたえが見つけたくてこの時間を与えられたんだ。

なにも大それたことをやりたいんじゃない。
小さな暮らしの営みの中から小さくてあったかい幸せを見つけたいだけ。

それを2人でつくっていこうねって、手を繋いだんだ。





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