こういう回忌もひとが集まって手を合わせてくれることが何よりの供養になるのだといつも惠光寺の住職が話してくれます。昔からうちは人が集まる家だったけれど、いつしかそれがとても面倒なことだと思う様にもなりました。でも人が集まることの裏にはどこか大きな徳があるような気がする。それを裏で支えてきてくれたのも人のちからなのだから。
みんなそれぞれにいろんな生き方をしていて、それぞれにもっている思いも違う。
できることもできる力もそれぞれに違う。でもそれだからこそ、おもしろい。そして支え合える。
いのちが続くということは偉大なこと。
それを繋ぐ役目を果たすことも大きなお仕事。
いつしか5人もの母になったわたし。
誰ともなくこのいのちを生み出せたことだけでも供養になったのではないかとふとそんなことを思いながら手を合わせてました。
ありがとう、おじいちゃん。
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