2016年3月26日土曜日

続き

夫はものすごく器用な人です。(ハートは別かな(笑)
新しいものをどんどん生み出す才能もあるし、頭も良くて、考え方もスマートで、自分を表現できる術をもたくさん持っている人です。

逆に私はものすごく、不器用。自分の気持ちを生の声で表現することも苦手だし、何かを作ったり、形にするのも苦手。
でも芸術を見たり、眺めたり、感じたりするのは大好きなんだけどね。

だからね、ものすごく、自分を表現できる人に憧れます。
ある意味主人にもすごく憧れているし、お友達にも数え切れないほど尊敬している人がたっくさんいます。そういう人たちにいつも感化されてエネルギーをもらってる。

ちょっと話があちこち飛んでしまうけど、これも書きたかったこと。

引越しを決めた時、同時に子待ち助産院(旧 めぐみ助産院)での料理教室のお仕事を引退することを決め、(もうその随分前から、自分のできることに限界を感じていたので)その後を木本志帆さん率いる4人の先輩に引き継いで頂けることになったのだけれど、
最初その活動を見せてもらった時にその活動の深さと美しさ、4名が奏でるしなやかな感性に驚いたと反面、ものすごく自己嫌悪に陥りました。
あああ、私って一体どこまで行き詰ってやってたのかなあって。
もう、教室当日、その日に何とか間にあわせることが精一杯で本当に長い間、教えるという立場に苦戦してましたから。それでも、小松先生に繋いで頂いたご縁を無駄にするわけにはいかないと、主人にはもうやめたいとなんども呟いてきたけど、今ここでやめるの?と幾度もなだめられては立ち直してとやってきたんです。
だからかな、余計にお役目が引き渡せてホッとしたと同時、ここまでがんばらなくたってこんな適任の方がいたのではないか、、と。
だから、引越しの話も遠のいてここに居れると決まってからも、こ待ち助産院での活動が気になりながらも、恐れ多くてなかなか近づくことができませんでした。
私が大に尊敬している千文さんがどんどん遠くへいってしまわれるという嫉妬心もあったのかな。じぶんが恥ずかしいっていうのかな。情けなかったですね、ほんとに。

でも、夏を越えて自分で一大決心し、「保存食の会」ピクルスの会に参加しました。
そうしたらね、あの場所、やっぱりものすごく居心地が良かった。人の力だって思いました。あの場に集まる人たちがここを育ててきてくれているのだと。
わたしの思っていることは何か独りよがり、突破口を開いて自分を打破して一歩前へ
やっぱり、憧れの人へ近づく、刺激をうけることはすごく大事だってことにも気がつきました。

で、最近ようやく気がついたことだけど、私が料理をするということも立派な表現なんだなってこと。気持ちの浮き沈みがあっても、台所を整えてきちんと料理すること、おいしいものを作って食べさせてあげることで自分の気持ちを整えてきました。
だから、それをきちんと記録にとってblogに書いたり、FBに載せたりしてみて、自分を見てくれる人の反応を楽しんでみたり。
そうこうしているうちに、FacebookはBlogと違って特に反応が早いし、端的な表現でまた違った楽しみ方があるということも知って
そっか、ひとつのことでも、見る人によってはこうも感じること、その表現の違いがかわってくるものなのかということを漠然とだけど感じ始めていました。





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